【インタビュー】GAC第1期修了生|Lim Jia Yenさん
掲載日:2021年03月17日
豊橋技術科学大学グローバル技術科学アーキテクト養成コース第1期生が、2021年3月、社会に巣立ちます。
「グローバルコミュニケーション能力」「多様な価値観の中での課題解決能力」「世界に通用する人間力」を身につけ、世界に羽ばたく修了生に、技科大のGACライフをインタビュー、今の気持ちを聞きました。
自らが動くことで、異文化の壁を超える
Lim Jia Yen(リム・ジア・エン)さん
建築・都市システム学専攻 国際都市計画研究室(2021年3月 修了予定)
不満だったGACでの生活を変えたのは自分自身
2012年に初めて来日したマレーシア出身のリムさん。東日本大震災後の被災地を訪ね、地元の人たちから復興にかける思いを聞いた。甚大な被害を受けながらも、必ず復興させるという東北の人たちの前向きな姿勢に感銘を受けたという。
「世界の歴史や地理、各国の民族の生活や文化に興味があり、海外留学をしたいと思っていましたが、経済成長と停滞、そしてたび重なる自然災害、復興などを経て、アジア諸国のなかでとりわけ経験豊かな日本で勉強したいと思うようになりました」とリムさんは語る。その後、政府派遣留学奨学金制度を活用して豊田工業高等専門学校に留学し、卒業と同時にGACの第一期生として入学した。GACを選んだのは、前出の川上千夏さん同様、グローバルな社会課題の解決に貢献したいという思いから、グローバルハウスでの生活が将来の糧になると考えたためだ。
「でも最初は期待とはちがっていたんですね。入学当時、シェアルームでは私以外、皆日本人でしたが、それぞれ生活のリズムもちがうし、自分自身が受け身だったこともあり、なかなか思うようにコミュニケーションが取れませんでした。最初は不満に思うだけでしたが、このままでは良くないと考え、自ら積極的に人と関わりをもつよう努めました」
その姿勢はやがて、学内外での活動や国際団体活動へとつながっていく。学部4年次には、GACの同級生らを巻き込んで、文化理解や英語でのプレゼンテーション能力向上などを目的に、学内でTEDxToyohashiUTやInternationalUnderstandingForum(IUF=異文化フォーラム)を立ち上げ、毎回異なるスピーカーによるプレゼンテーションやワークショップなどを企画した。リムさん自身も発表したり司会を務めたりするなかで、交流を深め、人脈を広げていったという。
「異文化の一番の壁は、文化や宗教のちがいというより無関心なんです。関わるための最初の一歩が踏み出せない人も多い。その壁を取り払いたかった。幸い、GACには川上さんを始め、社会課題解決に貢献したいという意識の高い学生が多く、積極的に関わってくれて、互いに刺激を受けつつ、活動の幅を広げることができました」と振り返る。 そのほか、飲食店でのバイトや通訳、県内の学校での異文化理解のための講師、さらにはヒッチハイクも経験したというリムさん。もとは内気な性格だったというが、GACでの生活を通じて、人とのコミュニケーションに自信がもてるようになったと自負する。
スラム街での調査研究を活かし、途上国の持続的発展に貢献したい
学部4年からは、小野悠講師の研究室でインド・ムンバイやケニア・ナイロビなどのインフォーマル市街地(スラム街)における都市開発と水供給マネジメントの研究を手がけた。高専のとき、マレーシアや日本などで水環境改善について調査した流れで、水問題について都市計画というより広い視点から取り組みたかったという。ムンバイには3回現地調査に赴き、各3週間ほど滞在して、市外に広がる2000ものスラム街のうち特徴的なものを調査した。
「最初は通訳が手配できず、勉強中のヒンディー語やマラーティ語でなんとかコミュニケーションを取りましたが、スラム街の衛生環境の悪さや文化のちがいに戸惑うこともありました。実はムンバイの電車は扉を開け放して走るんですね。駅に到着するとき、まだ動いている電車から人々がホームへ飛び降りるのも驚きました。夜遅く、スラム街で怖い人から絡まれそうになったことも。でも、そうした失敗から多くを学びましたし、現地に友人もできました」と、リムさんは話す。
体当たりで臨んだ調査が実を結び、博士前期2年までに発表した学会論文は8本を数える。また、研究とは別に、ムンバイでの実務訓練として、2カ月間にわたり国際NGO組織でスラム環境改善・開発の活動にも携わった。2021年4月からは、第一希望であった、様々な国で社会インフラ整備を行う開発コンサルタント会社に就職する。
「将来は、途上国の持続的発展に貢献できるような都市計画の仕事に関わりたい。そのためにヒンディー語やスペイン語も継続して勉強しています。つねに向上心をもって、積極的に課題解決に挑戦していきたいですね。またこれからも、日本の故郷とも言える豊橋との連携を大切にしていきたいと思っています」
(取材・文=田井中麻都佳)